懐かしい写真 |
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この写真に写っている被写体で知る人ぞ知る人です。合成でも何でもありません。 この日、雪の降るコロラドから(私達の乗る便が偶然にも欠航になったんですよ。)の暑いロサンゼルスへの移動でした。写真では、厚手の服装ですが、外の気温は確か30度を超えていたような… この後、陸上競技場にて、当時カールルイスと並ぶ走り幅跳びの第1人者 |
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これは、知る人ぞ知る写真です。ユニフォームを見て直ぐに分かった人は陸上通ですね。この写真は、今から13年前の1988年10月、国体二巡目の京都国体の決勝です。左から2人目が私です。左の人とかなり競っているような写真ですが、まさにその通りです。 最後の10台目まで競っていて、ゴールで負けてしまいました。しかも、100分の1秒差というタイムで…あまりの不甲斐なさにゴール後に大泣きをし、更に地元開催と言うこともあって、地元のテレビ局のインタビューでも大泣きしてしまった事を今でも忘れられません(^_^;) この負け戦?から、大学に進学してからの目標が出来たのは言うまでもありません。 ちなみに、当時の私は高校3年生で且つ坊主頭であったという事は言うまでもありません。 |
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さて、この写真は、一体どこで何の大会の写真でしょうか?これは、島根県で行われた、西日本インターカレッジの決勝です。右から3番目が私です。しかも、日本選手権の翌週だったのを覚えています。しかも、就職活動もやっていました。おかげで、練習不足で右太股に軽い炎症を起こしてしまいました。でも、大会タイ記録(大会記録は前年に私が出した。)で優勝です。4年のうち3回出場して、2回優勝です。(1回目は1年生の時で、途中でバランスを崩して失格になりました。陸上人生の中で1番悔しかった。) そうそう、このころ別で鮮明に覚えていたのが、宿泊先のホテルの部屋が異様に大きかったこと。私の身長でベッドから足がはみ出なかったです(笑)そして、安かったのを覚えています。良い意味で、松江での大会は良かったです。帰りは、炎症がひどくて辛かったですけどね(^_^;) |